「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」と、AI時代の「ピント合わせ」


はじめに

久しぶりのブログ更新です。 少し放置してしまっていましたが、最近、生成AIと壁打ちをしていて面白い気づきがあったので、備忘録として残しておこうと思います。

きっかけは、話題の書籍『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆 著)についての議論でした。

「全身全霊」で働くと、ノイズが入らない

この本では、現代人が本を読めなくなった理由を「労働の全身全霊化」にあると指摘しています。 かつて仕事は「生活の糧」でしたが、現代では「自己実現」そのものになってしまった。仕事に自分の全て(全身)を捧げているから、仕事に関係のない「ノイズ(異質な情報)」である本を受け入れる隙間がない、という話です。

著者はそこで、「半身(はんしん)で働く」ことを提唱しています。 仕事に100%没入せず、あえて余白を残すこと。

これについてAIと議論していて、私はふと、「撮影」のことを思い出しました。

進化したAF(オートフォーカス)が教えてくれたこと

「カメラのオートフォーカス(AF)が進化すると、人間が下手になる」と思っていました。 ピント合わせという技術的な苦労を機械に任せてしまうと、写真を撮る行為がインスタントになりすぎる気がしていたからです。

でも、最近の高性能なカメラを使っていて、考えが変わりました。

以前は「ピントを合わせる」という作業に脳のリソースを奪われ、肝心の「この被写体の何に惹かれたのか?」という問いが疎かになることがありました。 しかし、AFが進化してピント合わせが自動化された今、私は「撮りたい」という衝動そのものに、全神経を注げるようになったのです。

「技術が手間を省いてくれる分、人間は『なぜそれを撮るのか(選ぶのか)』という意志に集中できる」

これが、テクノロジーの本来あるべき姿なのだと気づきました。

生成AIは「脳のオートフォーカス」になれるか

この話は、今の生成AIブームにも通じます。

AIは、情報の要約や整理、もっともらしい文章の作成を「超高速」でやってくれます。これはカメラで言えば、爆速でピントを合わせてくれるAFのようなものです。

ここで問われるのは、「私たちに『撮りたいもの(問い)』があるか?」ということです。

もし、私たちの中に「これが知りたい」「これを表現したい」という衝動(ノイズ)がなければ、AIはただ「きれいなだけの空虚な画像(文章)」を量産するだけのツールになってしまいます。 むしろ、自分に都合よく最適化された情報ばかりを浴びることで、わかりにくい「他者の言葉(本)」を読み解く力が衰えてしまうかもしれない。

「半身で働く」というのは、単に手を抜くことではありません。 AIや仕組みに「ピント合わせ(作業)」を任せて、空いた半身で「自分は何を感じ、何を問いたいのか」という人間的な衝動を守り抜くことなんじゃないか。

そう考えると、忙しい日々の隙間で本を開く行為は、効率化された世界に対する、ささやかで重要な抵抗のように思えてきます。

終わりに

……なんてことを、AIと議論しながら考えていました。 結局、正解なんてありません。ただ、便利な道具に囲まれているからこそ、あえて「わかりにくいもの」や「非効率なノイズ」を面白がる余裕を持ち続けたいな、と自戒を込めて。

さて、次はカメラを持ってどこへ行こうか。 AIには生成できない「私の衝動」を探しに、また少し旅に出たくなりました。