『第3の時間』から気づいた「空想の他人」を手放し五感で今を感じる

井上陽子さんの著書『第3の時間 デンマークで学んだ、短く働き、人生を豊かに変える時間術』を読みました。

タイトルだけを見ると、「午後4時に退社して自分の時間を持つ」といった、デンマーク特有の合理的な時間術やワークライフバランスのノウハウ本のように思えます。

私がこの本から受け取ったのは、一個人が「他者の評価」という呪縛からいかにして抜け出し、自分自身の感覚を取り戻していくかというプロセスです。

「空想の他人」の評価に縛られていた自分

著者は日本にいた頃、学歴や記者という肩書きなど、他者視点での評価でしか自分の存在承認を得られない状態に陥っていました。常に「空想の他人」の目を気にし、ゴールなきゴールを追い求めて自己肯定感をすり減らしていたのです。

日々の仕事や生活の中で、何かを感じる前に「こうすべきだ」「これが正解だ」と頭で考えてしまうことは、誰にでも思い当たる節があるのではないでしょうか。

自分がどう感じているかを置き去りにして、社会や周囲からインストールされた「正解」という偶像ばかりを見てしまう。そんな状態では、どんなに自由な時間が与えられても、自分と向き合う(内省)ことはできません。

デンマークは「魔法の国」ではなく「認知の初期化装置」

では、彼女はなぜデンマークという環境で救われたのでしょうか。それは、単に労働時間が短くなったからではなく、その環境が彼女の「認知OS」を再インストールさせてくれたからだと思います。

デンマークには、彼女がそれまで握りしめていた「肩書き」や「自己犠牲的な働き方」を評価する指標がありません。つまり、彼女を縛っていた「空想の他人」が存在しない環境だったのです。

絶対的な正解(偶像)が存在しない場所で、ジャッジされない対話を重ねることで、彼女はようやく「思考(こうすべき)」を一旦停止し、「感情(自分はどう感じているか)」に耳を傾けるプロセスに入ることができました。

ノイズを「新鮮な変化」として受け取る

翻って、私たちの日常を考えてみます。深い内省をするために、わざわざデンマークに移住したり、すべてのノイズを遮断したりする必要はあるのでしょうか。

例えば、カメラを持って街を歩いている時や、いつもの道を散歩している時。一見すると毎年、毎日同じような「ノイズ」の連続に見える風景も、五感をチューニングしてその場に身を置けば、一時たりとも同じではない「新鮮な変化」に満ちていることに気づきます。

イスラームの世界で偶像が否定され、絶対的なものを抽象的にしか表現しないように、私たちも「こうあらねばならない」という固定化された正解(偶像)を持つ必要はないのだと思います。万物は常に変化しているという前提に立てば、絶対的な正解に自分を合わせようと力む必要はなくなります。

考える前に、まずは「感じる」こと

今回この本を通して気づいたのは、豊かな時間や自己肯定感を取り戻すための第一歩は、新しい時間術を身につけることではなく、日々の雑多なノイズの中で「考える前に、まずは感じる」回路を取り戻すことだということです。

何かに行き詰まったり、息苦しさを感じたりした時は、頭で「どうすべきか」を考えることを一点手放してみる。そして、五感を開き、目の前にある微細な変化をただ「新しい、新鮮だ」と受け止める。

そんな日々の小さな感覚のチューニングの積み重ねが、自分の中に「余白」を作り出し、結果的に人生を豊かにしてくれるのではないか。そんなことを感じる書籍でした。